歴史解説 インパール作戦の全貌と牟田口廉也 ~大日本帝国陸軍史上、最も無謀な大規模作戦、連合軍との激闘~【軍事】

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  • Опубликовано: 10 сен 2024

Комментарии • 45

  • @某子
    @某子 2 года назад +18

    問題の有る将軍をさっさと更迭しない軍全体の欠陥。牟田口だけ悪く言うが彼の要求した輸送用トラックなど
    必要な物資は全く用意出来て無い。出来ないなら出来ないで良い、しかしその場合作戦は直ちに中止を命令
    すべきだった。GOサイン出した軍司令部も同罪

  • @asaichban9842
    @asaichban9842 2 года назад +14

    歴史群像の2月号では 牟田口の新たな側面が描かれてた
    中尉で陸大入学し カムチャッカに単独侵入するような勇敢な情報将校、そして師団長時代はビルマ攻略には反対してた
    師団長までは有能であったことは間違いない シンガポール攻略戦では師団長にも関わらず負傷までしている
    ウチの会社でも 専務までは有能だったが 社長になったらとんでもない方向になって(前社長までのことを否定し自分の意思を貫く)
    会社をリストラまで追い込んだ それと似ているような気がする 師団長まではそこそこ しかし軍司令官としては×

  • @user-yl3ze7xv1m
    @user-yl3ze7xv1m 3 года назад +6

    むっちゃんの作るラーメン食べたかった、、インパール作戦に参加した兵士はトッピング一品まで無料にした優しさ。

  • @bigmagnum6152
    @bigmagnum6152 2 года назад +26

    日本人の気質の本質的なところは何も変わってないね。現実から目を背け最後は人情だの気合いだの、今の日本にも通じるところが多々ある。

    • @まる-s3o
      @まる-s3o Год назад +1

      現実から目を背けというところは
      「目の前」と「危機的状況」のとこはよく見えてますけど
      「下にみてる相手に対して」や「詰みかけてる時」に楽観的、現実逃避的なものの見方をするという方がしっくりくる気があります。
      (現実が全部見えてなかったらあれほどの急激な近代化は出来なかったでしょうし…そういう意味での「危機的状況では現実を見る」という考え方です。
      あと「目の前の現実」については下士官が優秀だったのを見るとそういうような風潮にあると思われます。)

    • @muteli7391
      @muteli7391 Год назад

      今の日本人GHQに去勢された腰抜け共が多いので全然違います。

  • @user-fn8rd2ri3s
    @user-fn8rd2ri3s 3 года назад +21

    日本軍の失策は人事にある!と米軍は戦後述べていたね。
    陸軍の牟田口,海軍の南雲を代表として無能な将軍の犠牲となった
    帝国陸海軍の将兵が気の毒です。

    • @Mikasa-rz9xi
      @Mikasa-rz9xi 2 года назад +4

      南雲さんは水雷畑だもんなあ・・・

    • @TN-qz6hj
      @TN-qz6hj Год назад +1

      @@Mikasa-rz9xi だから魚雷への装換にこだわったのかもしれませんね。

  • @山本隆-o5d
    @山本隆-o5d 2 года назад +4

    牟田口と富永恭次こそは日本の法廷で裁かれるべきだった。木村兵太郎は東京裁判で裁かれたので。日本の将官とそれを支えた人事制度は誠にひどかった。戦時にはその欠陥がもろに出た。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke 2 года назад +12

    山内師団長:結核で死去(1944)
    柳田師団長:シベリア抑留で死去(1952)
    佐藤師団長:帰国(1959)
    牟田口廉也:病死(1966)
    納得いかない…

    • @user-pm1yc1us2g
      @user-pm1yc1us2g 2 года назад +4

      戦後の牟田口は言い訳に終始して自らの無能さを反省しなかったとか(唖)

    • @user-ts1kp3tb5o
      @user-ts1kp3tb5o Год назад +2

      この地獄のようなボロボロの戦場を収拾したのが日本軍末期の名将宮崎将軍。

  • @user-wb1iz4kq5y
    @user-wb1iz4kq5y 3 месяца назад +1

    師団長も軍団長も方面軍司令も全て中将なんですね

  • @bboot412
    @bboot412 2 года назад +4

    稲田少将ってニューギニア戦でボロクソ言われるけど
    インパールでは強弁に反対して更迭されたりかなり良識派だったんだよなぁ
    ホーラジアに米軍来寇直前になって転属されて戦う準備すら出来なかったのに責められるの辛いわ

  • @user-ze2mu3wg6s
    @user-ze2mu3wg6s 2 года назад +5

    有能な部下を上手に使うことのできる上席者、その上席者の考えていることを考えてそれに応えるべく職務に励む部下。この関係ができていなかったのが後々まで尾を引いたような気がします。東條が山下そして石原らを使うことができたら日本の運命も少しは変わったかもと思うのは、私だけでしょうか。

  • @central162
    @central162 2 года назад +4

    「まぁ仕方ない、そういう時代だったから」という日本人特有の貧困哲学が侵略戦争を美化し牟田口の様な馬鹿を放免する。

  • @hoshizoraclub_
    @hoshizoraclub_ 3 года назад +12

    伯父が戦死した日に誰かさんはトンずらしているのです。親族として未来永劫許せるか!
    伯父はマレー作戦従軍で負傷し筑紫峠の血路を拓きマラリアと闘い昭和20年春攻勢まで生き延びたのに。
    兵卒の先頭に立ち共に戦い指揮していたならいざ知らず・・・!

    • @senasakura345
      @senasakura345 2 года назад +3

      後方支援に釣り竿と芸者連れて

  • @user-jy4fc2pm3m
    @user-jy4fc2pm3m Год назад +1

    こんな作戦やるから、ビルマ方面軍の戦力が枯渇して、その後の防衛作戦が遂行できなくなった。

  • @TheGenntaroumark2
    @TheGenntaroumark2 Год назад +4

    連合軍最高の指揮官

  • @user-rr9tw7cu4k
    @user-rr9tw7cu4k Год назад +3

    インパール作戦の距離は徒歩で470キロですよ、普通のアスファルトの道路を歩くだけでも大変な距離をジャングルの中を歩く何て絶対無理だよ、インパールって世界一の降水量だよ、兵士は飢えて死んで行ったのに、コイツは芸者遊びしてたとんでもない奴だよ😂

  • @yuzich.7759
    @yuzich.7759 2 года назад +3

    奇想天外、、、だからこそ世界が驚く、、、そんな作戦かと思います!

  • @チェルシーお父さん-s8q
    @チェルシーお父さん-s8q Год назад +2

    前線将兵の多くむだに戦病死させた責任はあるし許せないが、師団長時代までは少なくとも有能な前線指揮官の一人だったと思います。インド独立勢力への支援もあったかも知れないが、ビルマへの進攻や派遣が、必要だったのか疑問です

  • @kamonohasi1427
    @kamonohasi1427 3 года назад +8

    貴公の動画を拝見させていただきました。
    第二次アキャブ作戦成功によりインパールもコヒマもほぼ無人の状態で制空権もどっちつかず、しかも33師団は機械化された精鋭で道路も舗装されていたから擬似的な電撃戦まで行えた。そんな、末期日本軍の中では理論上成功率がかなり高いと思われるインパール作戦を失敗に追いやったマウントバッテン元帥は、有能な指揮官と呼ぶに相応しい人物ですね!
    牟田口中将もかなり頑張りましたが、英軍が1枚上手だったと思います。
    あと、牟田口中将は戦後の自己弁護をもっと上手く立ち回れていればここまで酷く語られることはなかったでしょうね。

  • @TS-sq4dp
    @TS-sq4dp 3 года назад +3

    15:41 髪型えぐって思ったけど防寒帽なんですね

    • @Mikasa-rz9xi
      @Mikasa-rz9xi 2 года назад

      旧陸軍は、憲兵以外は全員坊主頭だったかな

  • @hi88de
    @hi88de Год назад +3

    積極的な無能は射殺さなくてはならない

  • @user-sy6et3ho5b
    @user-sy6et3ho5b 2 года назад +8

    当時の作戦は合理的配慮を欠いた、精神論だけで軍功を追求した正に無謀そのものですね。この参謀、指揮官の為に幾万の兵士が無駄死をさせられた
    その兵士ひとりびとりに親兄弟が居て息子がこの様な環境下で死んで行ったことは誠に無念

  • @zpotz8170
    @zpotz8170 2 года назад +2

    敗戦で自決していれば100年近く子々孫々にここまで侮蔑され、貶められなかったろうに。無神経さが威力を発揮するのは後方司令部でなく最前線だろう。万年中隊長、もはや分隊長くらいが似つかわしい軍人。

  • @user-hg6mc5ni2z
    @user-hg6mc5ni2z 2 года назад +3

    帝国陸軍の最悪の作戦、兵隊を虫けらの様に死なせた‼️切腹したとは聞いていない、責任は誰が取ったか?⁉️

  • @user-dn4sf9du2c
    @user-dn4sf9du2c Год назад +2

    むーさん、自分の建てた作戦の本質を最後まで理解できてなかった。
    陸大の教育が間違ってたからだ。